こころ |
原作との出会いは教室、自宅の書棚で再開して数回精読してあった。キャストも魅力的に感じ、期待をしてデッキのスイッチを押した。 しかし、読む度に見解を深めていくことができる底を知らない物語なのに、その奥深さが十分表現されているように感じなかった。カットや余計な演出が多く、洗練された原作に脚本が劣る。前半部分の私と先生の交流があるからこそ遺書の影に重みを感じられるのであって、前半部分をさらりと流してしまったドラマに原作程の魅力を見いだせなかった。 役者陣の芝居に申し分はない。ただ、Kの遺体を発見する場面など、要のシーンに物足りなさを感じてしまった。 原作と別物として楽しむのを薦めたい。 |
それから [VHS] |
夏目漱石がいかに現代の映画になる得るかがわかる良い見本。モリタらしいしゃれた感覚で描き出された明治が実に美しい。俳優もみな素晴らしい。松田優作、小林薫、藤谷美和子。特に 藤谷は この後プッツン女優として迷走するわけだが この映画を見る限り あの迷走は日本映画の大損失であったことがよくわかる。それにしても 森田も早熟だった。この後の作品が「そろばんづく」というトンネルズを起用したコメディーであったが 既につまらない作品であった。その後の森田も正直迷走しているといっても過言ではあるまい。いくら優秀な監督でも傑作と言われる作品はいくつも作れないわけである。早熟森田の その後の磨耗ぶりも 日本映画の損失である。 |
それから [DVD] |
問答無用の名作です。夏目漱石の原作と、森田芳光の監督、松田優作と藤谷美和子の緊張感溢れる演技。公開当時、映画館でこの映画を観ましたが、最初に「文部省選定」の文字が映し出され、館内に笑いが起こっていました。DCブランド華やかしころの松田優作と小林薫の衣装は、今は亡きISAMU MENの提供であった記憶があります。梅林茂の音楽も素晴らしく、公開当時オリジナルサウンドトラックのCDは台詞入りで愛聴していたのですが、人に貸したところ行方不明になってしまいました。今回このDVDを購入しましたが、作品としての素晴らしさは20年以上経った今でも古びることはありません。マイナスポイントは画像と音質の悪さです。 |
坊ちゃん [DVD] |
1977年公開作品で、血気盛んな坊ちゃんを演じるのは、若き日の中村雅俊。
深く親しまれている原作は、度々映画化されているが、本映画作品は、かなり現代風のアレンジが加えられている。 特に印象に残るのは、赤シャツと野だの、すっとぼけた陰湿ぶりだ。 このネチネチとした態度は、原作よりも、ずっといやらしくて、大変面白い。 山嵐は、思った以上に質実剛健で、正義感が強い。 原作では、当初山嵐は、坊っちゃんにとって、敵なのか味方なのか分からない。 本作品では、そういう面は無く、こんな形でうち解ける事になるのは、現代風テイストだ。 坊っちゃんの布団に、大量のいなごが入れられる場面は、観る前から期待したが、もっと派手にやって欲しかった。 ただ、うらなりの送別会での、鉄道数え歌を歌った「盛り下がり」具合は、見事だ。 最後の乱闘騒ぎは、なかなかの迫力だ。 ただ、本作品のクライマックスは、原作の様な悲壮感は無い。 むしろ、原作とは大きく異なり、ハッピーエンドの、感動物語となっている。 こんなアレンジは、安っぽいと感じられるかも知れないが、原作の現代風解釈として、面白いと思う。 あまり、文学の香りは高くはない。 それでも、何より、楽しい作品に仕上がっている。 |
脳力トレーナー ジグソーパズル 音読・夏目漱石編 NJ-001 |
実に面白いです。 頭が良くなりました。 |
漱石の漢詩を読む |
本書を象徴するような「末期の吟」を要約してみたい。
大正5年11月20日の詩。翌々日から病床につく。(12月9日逝去 50歳) 漱石最晩年の漢詩は、ほとんどが七言律詩。この八句形式の尾聯二句を書き下し文にすると、 「眼耳双つながら忘れ身も亦た失い/空中に独り唱う白雲の吟」 この部分の典拠として『方術列伝』「薊子訓」を引いてこう述べている。神仙の術を心得た人はこの世を見限り、仙人の郷に入り、二度と帰ってこない。そのとき、どうやら特に別れの言葉を交わさなかった。ただ、その日あちこちに白雲が湧いた‥ここのところを漱石は思い起こして最後をこう結んだと推定する。「自分が世を去ったその徴に、あるいは生きている人たちへの挨拶に、あちこちに白雲を立たせた」 漱石は最期の境になって文学的境地「空中に独り唱う白雲」をさらりと詠ったとみる。言わずとも「則天去私」を暗示していよう。これが専門の漢文学者ではない内向の作家古井由吉の【満を持した】結語とみたい。 |
こころ (新潮文庫) |
子どもの読書感想用に購入したのを何カ月もかかって読みました。
読んでおいて損はない一冊です。 人間の「こころ」のうちの、苦悩がひしひしと伝わってきます。 全体の構成力にも圧巻です。 特に、「先生」の告白となる後半は、ぐいぐいとものすごい力で引き込まれてしまいました。 |
それから (新潮文庫) |
30歳にもなって職を持たず、実業家である父から生活費を貰って暮らしている代助は友人夫婦である平岡夫妻が帰郷したことで様々な事柄と向き合うことになります。自身を責任ある立場に置かないことで成り立っていた生活と心の基盤を揺るがすのは...というのが始まりです。またまた当然文章が上手いです、説明し尽くされることに慣れてしまっている現代の小説家の文章よりもずっとセンスある、隙間を生かし、全てを説明しないでも伝えるテクニックがとても心地よいです。そして、展開も、描写も来ます、迫ってきます。哲学的問いかけ、生活者としてのその時の風情もあり、それでいて愛情についても語られる、昔からあったであろう西洋小説の王道です。しかし、その西洋の王道が日本的なものになって漱石先生の手にかかると、メランコリーで回ります。そこがとても日本的だと、ある意味美しいとさえ感じました。
内容に言及しています! 代助の無意識の内に平岡に自分の好きだった三千代を斡旋する努力を行ったことはおそらく『妻を娶る』という責任を回避するためのものであったであろうと私は解釈しました。だからこそ、その後その自分でした事の事実お大きさに悩み苦しみ、そして運命という言葉を出して自身を納得させる部分はたしかに誉められた行為ではありませんが、ドラマとして必要な部分でさえあると私は思いますし、自分で蒔いた種を刈ることの悲劇性が強くなって小説としてよかったと思います。その辺や相対する平岡を徐々にどんな人物に変わっていってしまったかを描くことで感情移入させやすくしていますし、より小説世界に入り込んで楽しめました。なんだかんだと理由をつけ、その理由が正しいか誤っているかではなく、今どうなのだ?という現実に即する事が出来ないあたりが私個人的には村上 春樹さん的にも感じられ面白かったです。やはり周りをとりまく人々の(父の、兄の、嫂の、そして平岡や寺尾、もちろん三千代まで当然!)凡庸なるまともさと神経質なまでの考えに固着する代助の頭の回り方が対比美しく良かったです。三千代が代助の告白を聞き入れる度胸の大きさと覚悟の見事さに比べてのある意味滑稽でもあり、そして何故だか哀しくもある代助の態度がまた印象的でした。 その上ところどころで挟まれる描写の美しいことがまた盛り上げたり、引いて見せてくれたり、まさに自在に私の感情をぐりぐりと動かされた感じでした。特に描写では、嫂に自分の好きな女が出来た事を告白した帰りに見る梅雨時に珍しい夕陽と車の輪との描写はとてもヒロガリを感じますし、まさに衝撃的な場面の後でよりいっそう余韻に浸りました。また代助が三千代を好きだと自覚する場面での「三千代」を繰り返す文章が非常に代助の心を描写する意味では上手いと思いました。 不倫小説、とは言いすぎな部分もあるかと思いますが、現代でも同じ題材として繰り返されるモチーフのひとつでありながら、その他とはあきらかにレベルが違って感じる小説、再読だろうと充分に耐えられる芯の太い小説だと思います。 私は最後に代助の至った狂気への道筋にも見える部分こそ、本当の、現実への扉を開け、責任を負うことへの代助から見たものをそのままに描写したものだと思います。狂気を感じさせつつリアルであるという踏みとどまりを感じました。 漱石先生の作品が好きな方に、何時の時代もある不変的悩みに興味ある方に、村上 春樹さんの初期の頃作品が好きな方にオススメ致します。 |