ランボー4 最後の戦場 オリジナルTシャツ Lサイズ |
レビューっつっても、Tシャツですからねぇ(笑
米国版の、ポスターイラストです。 カッコいいと思っちょります。やっぱランボーは良い!! |
ランボー 最後の戦場 ジョンランボー スタチュー |
このスタチューを傍らに最後の戦場を観ると最高です。ガタイのよくなった壮年のランボーが再現されていて顔もそっくりです。泥の汚し塗装もいい感じで欲を言えばもう少し返り血を浴びてれば最高です。ただ重くて壊れやすいので置き場所に少し困ります。ソフトビニールで作ってくれればよかったのにとも思います。 |
オリジナル・サウンドトラック「ランボー」 |
オープニングのギターのアルペジオを聴いたときから、「良い曲だなぁ・・」と、感じてはいましたが、CDで買って聴いてみても、好印象な音源でした。 エンディングの「its`a long road」は、CDで聴くと、少しリバーブかかりすぎかなと、感じなくもなかったが、何回か聴くうちに、慣れてきて、最近は、良く聴いてます。 ジェリー・ゴールドスミスの他の音源も、聴いてみたくなりました。 |
ライト・オブ・デイ-ブルース・スプリングスティーン・トリビュート |
近年いくつか登場したBossへのトリビュート・アルバムの中でも一番内容が充実していると言ってよい。どのアレンジも聴き応えがあるし、改めてBossの曲の数々の素晴しさを認識させてくれる。私はBossの曲の中でBadlandsが最も好きだが、ここではスカ・ミュージック風に陽気にアレンジされていて、これはこれで面白い仕上がりになっている。Elvis CostelloによるBrilliant Disguiseはさすがの貫禄。男性とのDuetを含めて女性Vocalをフィーチャーした曲が5曲あるが、違和感は微塵もなく、何れも素晴しい出来である。また、ニルス・ロフグレンの演奏では、彼のVocalを含めたArtistとしてのトータルな魅力に改めて感服させられる。そういった内容面の充実もさることながら、この日本版をさらに魅力的にしているのが、95年から05年にかけてのアズベリー・パークの定点観測とでも言うべき安川達也氏による「アズベリー・パークへの挨拶」と題された写真とレポートからなる24頁のブックレット。Bossの地元はどのような街か、そしてその街のこの10年間とはどういう時間であったのか、貴重な記録として評価したい。 |
サハラ・ブルー~アルチュール・ |
比較的入手の容易な輸入版では匿名で参加したデヴィッド・シルヴィアンのボーカルが差し替えられているようです。ファンの方は注意しておくべきところでしょう。
歌詞についても、やはりコンセプトからいって歌詞は重要ですから、対訳のついた国内版がいいと思います。 一部ヘブライ語やアラビア語などで歌われますが、こちらは歌詞が省力されています。 国内版のみのボーナストラックも貴重で、以上の観点から入手は容易ではありませんが国内版がお勧めです。見つけたら買いでしょう。 CDの内容の方も大変すばらしく、音楽は非常に映像的で、映画音楽としても優秀でしょう。 コンセプト通りに砂漠のイメージはよく再現され、ランボーの詩を基にした歌詞と相まってなんとも夢幻的な世界を構築しています。 決して難解な音楽ではありませんし、ランボーが好きな方やワールドミュージックに興味がある方には自信を持ってお勧めできます。 |
RAMBO(ランボー) |
ファミコンのゲームとしては、まあまあの出来ではないでしょうか。ただ、僕は途中で何をしてどこに行ったらいいのか分からなくなって、今だにクリアできませんけど。 |
ランボー 最後の戦場 コレクターズ・エディション [DVD] |
脚本は稚拙だし、ストーリーもこれといって練られちゃいない。
発想は竹内力やスティーヴン・セガールと一緒。 俺ならこうする。罪人共をこの俺様の鉄則で裁いてやる!!…みたいな。 その純粋過ぎる創作衝動が生み出したものは 21世紀の映画史に残るであろうミャンマー人の死体の山だった。 最後の10分間に及ぶ無骨な機関銃の乱射。 あれさえ観れたら脚本や物語の不足などはさしたる問題ではない。 一人でも多くの方に、スタローン監督の荒削りな魂を感じてほしい。 |
ランボー 最後の戦場 [Blu-ray] |
劇場とブルーレイで観ました。戦闘の残酷シーンは、やり過ぎの声もありますが、より現代的にリアリティを出したかったのではないのでは。戦争の悲惨さを表していますね。戦争は甘っちょろくないと言いたげです。見終わった後は自分がランボーワールドに引きづり込まれますね。 |
ランボー トリロジー Blu-ray BOX (初回限定生産) |
最後の戦場を入れるスペースがあり、4本が入る仕様のボックスは嬉しいですね
第一作目は、ベトナムの帰還兵が社会に適合できないそんな問題を取り扱った映画で 今で言うならPTSDを題材にした映画でした。 「軍にいた頃は100万ドルの兵器をも任されたのに、 ここでは駐車場係としても雇ってくれない」という言葉が泣かせてくれます。 二作目以降は、戦争映画になってしまった感はありますが良い映画だと思います |
ランボー全詩集 (ちくま文庫) |
私が初めてランボーを読んだのは、小林秀雄の訳でした。あの訳の単純なかっこよさは、高校生の私の脳味噌に直撃し、以来、私はランボー!ランボー!と連呼し、心持ちスタローンから遠ざかるようになった。 この訳はそのような小林訳のかっこよさはない。しかし、親しみやすさがあるのだ。小林訳におけるやたらと激しい口調もいくらか柔らかくなって、血気盛んな反骨高校生の心を捕らえるのには適さないが、なんといってもわかりやすい。 |
ランボー詩集 (新潮文庫) |
既に皆さん語られているところですが、海外の詩は訳によってかなり印象が変わります。私個人は、堀口大学氏のものが一番シックリと感じます。では肝心の内容の一番のお薦めは…「感触」Sensationです。初めて読んだときドキドキしたのを覚えています。あぁー本の中から風が吹いてくる!!- 髪なぶらせて- そして彼は旅立ってしまった…大人でもなく子供でもない成長期の複雑な気持ち。憧れと不安。思春期特有の想い。言い尽くせぬ思いを見事に表現したランボーに乾杯!! |
ランボーとアフリカの8枚の写真 |
最近詩人アルチュール・ランボーの研究は、彼が37年の短かい生涯の中でアフリカで過ごしたおよそ10年間の後半生における生活と文学活動に集中している感がある。
17歳でパリ・コンミューンに加担し、19歳で「地獄の季節」を出版し、20歳で「イリュミナシオン」を完成し、21歳でピストルで撃たれた「恋人」ヴェルレーヌと決別し、23歳で明治日本へ行こうと夢見た天才詩人は、25歳にしてはじめて東アフリカ、現エチオピアのハラルを訪れ、当地を拠点として武器弾薬、象牙、香料、コーヒー等をなんでもあつかう灼熱の砂漠の大商人として活躍するのだが、この間に友人知己、家族、地理学協会に書き送った書簡が、若き日の詩作に勝るとも劣らぬ「文学作品」として、彼のアフリカ生活と共に再評価されているようだ。 かつて黄金のように輝かしい詩篇を生み出したこの19世紀最大の詩人は、けっして詩作を断念したのではない。いっけん無味乾燥と考えられがちな、この簡潔で事務的な商業文、そしてその行間から立ち現れる「新アフリカ人」としての生活、偉大な大旅行者の足跡そのものが「生の文学」に他ならない。あの南太平洋に遁走したゴーギャンが、旧態依然たる西欧美術に弔鐘を打ち鳴らしたように、ランボーもまた、というのである。 1891年11月10日午前10時、ランボーはフランスの港町マルセイユのコンセプシオンン病院で全身がん腫に冒され、右足切断の犠牲も空しく没するが、最後の最後までアフリカに戻ること願い、その遺言は「何時に乗船すれがばいいかお知らせください」であった。ランボーは恐ろしい激痛を堪え、彼の最期の作品を死を賭してマルセイユで書いた。 またランボーは、巨費を投じて当時の最新メカであったカメラと撮影機材一式をパリからハラルに送らせ、彼自身のポートレートを含めた8枚の写真を撮ったが、それが本書の執筆動機になっている。ある意味では晩年の詩人のドキュメンタリー的小説であり、ある意味ではアフリカにおけるランボー研究の最新レポートであり、またある意味ではランボー研究家が自作自演する色っぽい推理小説でもある。 色っぽいといえば、著者はヴェルレーヌとの関係において「ランボーは女であった」と断定しているが、それはどんなものだろう。アフリカにおける彼の多彩な女性関係や「地獄の季節」における性的叙述、そしてなによりも両者の詩風(男性的なランボーと女性的なヴェルレーヌ)を考えれば、その役割は逆ではなかったか、と愚考するわたしでありました。 少年にして少女のかんばせ カルジャが撮りし17歳のランボー 茫洋 |