この世の果てまで~ブレンダー・リー・ベスト・セレクション |
ブレンダ・リーといえば、「この世の果てまで(エンド・オブ・ザ・ワールド)」の歌声を思い出しますが、この曲は、もともとスキーター・デイヴィスが1963年に歌い、大ヒットした曲のカバーでした。
もっとも日本では、彼女の持ち歌として知られています。 彼女の歌声は、とても甘く、伸びやかで、1度聴いたら忘れられない張りがあります。説得力のある声という感じがします。 同様にトニー・ベネットの歌で有名なスタンダード曲「わが心のサンフランシスコ(I Left My Heart In San Francisco)」も、ブレンダ・リーの歌唱の方も有名で馴染みがありますね。 原曲は、1954年にクララメ・ターナーによって歌われ、その後、多くの歌手によってカバーされました。現在でもよく聴かれますのでスタンダードナンバーの名曲といえるでしょう。 彼女は、1944年にジョージア州のアトランタで生まれ、6歳でデビューし、その頃「ダイナマイト」という曲を歌ったため、「リトル・ミス・ダイナマイト」と呼ばれました。10代で初のビルボード・アルバムチャートNo.1の記録を達成しています。デビュー当時は「ニュー・ジュディー・ガーランド」とも呼ばれたようです。そのくらい少女の頃から歌が上手かったのでしょう。 「モア」「好きにならずにいられない」「この胸のときめきを」「行かないで」「いそしぎ」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」等のスタンダードの名曲を聴いていますと、1960年代の「オールディーズ」には欠かせない歌手で、その歌声は今聴いてもとても魅力的です。 |
この世の果てまで DVD-BOX |
届いた日に、一気に全話見ました! 韓国で実際にあった話と知り、益々ハマリ! 悲しい物語のラストのリュ・シウォンの顔が印象に残っています! 絶対、ハマルシーンがあります。 |
この世の果て (幻冬舎文庫) |
「この世の果て」とはドラマで出会ったのが最初でした。 ドラマでの感動をもう一度と思って読んだのですが、文字で読むことでさらなる深さが伝わってきます。まりあと司郎のお互いを痛いほど求める心がじんわりと、ゆっくりとしみこんで来るようです。 |
この世の果てで恋を唄う少女YU-NO完全ガイド (アソコン・ブックス) |
キャラクター設定資料や世界設定資料の線画も満載!ゲームをさらに楽しく遊べる攻略方法を徹底解説,ややこしいゲームですのでサクサク進めたい方には必須の1冊かと思います |
この世の果ての家 (角川文庫) |
兄さんと母さんを亡くしたボビーに恋したジョナソン。少年時代の初恋が70年代のオハイオ州の田舎町クリープランドを舞台に始まる。二人は兄弟みたいに仲良く毎日ジョナソンの家でジョナソンのおっかさんの手料理の夕食を食べ、ロックを聴き、マリファナを吸い、生きることの喜びをともにしながらセックスもする。孤児になりつつあるボビーを18歳でニューヨークに上京したジョナソンはずっと都会で生活をたてていくのに、ジョナソンのおっかさんはボビーをもう一人の息子としてともに暮らす。体がでかいだけで愚直なボビー、小柄で機敏で賢いジョナソン。ジョナソンの性癖が男にしか向かわないのをおっかさんは自分のせいにする。ものすごく長い物語なので30年くらいの時間の過ぎ方が長編小説になっているから、マイケルがボビーが孤児になるまでを書いた短編がなんとなくジョンアービングの初期の頃のガープの世界ふうでよかったのが、淡々とたディテールで読ませるグレーゾーンに入り込んでしまったような感じがする。ゲイの小説はたくさんあるけれど、15歳前後から始まる少年の物語はたとえば海辺のカフカにもあるように家族からの脱出、すなわち家出による世界への旅立ち、トルーマンカポーティの遠い声・遠い部屋だったかに通底するもし僕が男と女の子供でなかったら、どこにでも行けるのにという少年の冒険心にあふれていてみずみずしいのに。ここにはたとえばゲイ特有の病エイズが現れることによって急速に年老いてしまった長編小説になってしまっていることがすごく哀しいね。 |
この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO |
通常、ADVであれRPGであれセーブした箇所から再開するときは、そのセーブ時からプレイヤーがプレイしたことはゲーム内では「なかったこと」になります。主人公がゲーム内で体験することはとりあえず仮のものであり、プレイヤーがリセットボタンを押すかバッドエンドを迎えた瞬間に「なかったこと」になってしまいます。これがYUーNOの場合は「なかったこと」になりません。YUーNOではパラレルワールド的な世界観にのっとり、任意の地点/時点にプレイヤーがセーブポイントを設定し、バッドエンド・リセット後はその地点/時点に主人公がさかのぼり引き続きゲームを進行するというシステムを採用しています。バッドエンド・リセットとリスタートの間に継続性があるのです。そのため、たとえば一度登場人物の誰かが死んでバッドエンドを迎えてセーブポイントから再開したとしても、その死はゲーム内において「なかったこと」にはなりません。このゲームではプレイヤーの体験がそっくりそのまま主人公の体験となります。リセットボタンを押しても〇〇さんが死んだこと、××さんが裏切ったこと、△△さんと愛し合ったことは「なかったこと」にはなりません。プレイヤーが体験した全ての事象を背負って、主人公は結末に向かって進んで行きます。私はこのシステムと世界観の融合ぶりに深い感動を覚えたわけですが、そんなのそうないですよ。もちろんストーリーもいいです。この世界観に食らいついていけば結末で天も地も無くなるような感覚を味わえるでしょう。超お勧めです。 |